江戸時代、猟師の名主、鈴木弥五右衛門が羽田村名主、石井四朗右衛門に折衝して譲り受け、羽田猟師町請負新田として幕府に願い出て開墾の許可を得て開発し新田として羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の三っの町を築き上げ徳川家康公と共に一生涯をかけて平和な国作りを漁民と農民と血と汗と涙の結晶で築き上げ鈴納稲荷から穴守稲荷神社を勧請させた此の地の開祖、氏神鈴木弥五右衛門は漁民や農民にとって良い名主でありたい。此の地で額に汗をし、必死で生きる漁民と農民が何の心配も無く安心して暮らせるよう力を尽くしたいと願い、決して村人の汗を無駄にはしない差別や偏見、隷従、収奪、搾取も無い平和な世に変え飢えや抑圧を村人から解放し力の限りを尽くし、村人が生きる喜びを実感できる夢のある三町を築き上げたのである。明治に入り一般参拝許可を得て穴守稲荷神社を中心として繁栄し京浜電鉄が、そこに目を付け線路を引き、羽田運動場(日本が初めてのストックホルムオリンピック予選会が行なわれた)羽田海水浴場開場式も行われた。野球場その他、テニスコート、遊園地、自転車競技場、大正に入り一大行楽地が形成され大正5年には日本飛行学校設立設立者「相羽有、玉井清太郎と共同営業を行ったが、大正6年5月20日芝浦で墜落死、後10月1日前夜から吹き募った台風による高潮の為、日本飛行学校初め稲毛飛行場が壊滅した後、昭和6年8月25日、日本初の羽田飛行場が開設された。~続く~羽田平和記念会館・羽田の歴史と平和の大切さを伝える記念会館が必要、内容は当会のホームページ「資料室」の羽田平和記念会館をご覧ください。
現在の羽田空港第三ターミナル付近で出土した旧日本軍の高射機関砲知られざる歴史、霞ヶ浦海軍航空隊予科練の基地が在った。(基地の出来る前は昭和6年日本初の民間空港で世界一周の記録をだした。
上記 軍事工場の在った溶鉱炉の爪痕それを放置してある(産廃)今の時代では、それを産廃の不法投棄また、不法投棄は、1千万以下の罰金、5年以下の懲役が科せられる法律があるにもかかわらず。今だに放置してある。目先の利権を追い求め強引に成している。その不正を摘発するのが行政である。
東京国際空港(羽田空港)の沖合展開(騒音問題の解消を目的とし空港施設の沖合移転)の工事現場から出土した高射機関砲です。
撮影日2007年 撮影場所 現在の羽田空港第三ターミナル付近 撮影者 吉田清光
戦時中羽田空港に霞ヶ浦海軍航空隊(特攻隊)の基地が在った事ご存知でしたか、羽田空港から若き特攻隊員を戦地に向かわせた。
終戦後、日本は昭和39年(東京オリンピック開催)の年までユニセフから支援を受けていた事を忘れてはいけない!
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