忘れてはいけない。江戸、明治、大正、昭和初期まで、繫栄した町でしたが、第二次世界大戦が勃発し敗戦となり、3町に住む羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の住民約3,000人余の人達が、東京飛行場の引き渡しとのことで米軍に町を接収され48時間以内での強制退去を命じられ、当時の蒲田区長増田武夫氏から「緊急命令ニ依り立退ヲナシタルモノナルコトヲ証明ス」という一片の家屋立退証明書を発行されただけで先祖から授かった土地を収奪され町から追いやられたのです。その上、昭和4年に京浜電鉄が旧穴守稲荷神社に奉納した一の鳥居は穴守稲荷神社に放棄されたその上、祟りの鳥居と異名を付けられ平成11年2月4日に鳥居は移設され此の地に相応しい平和の扁額を鳥居に奉納し今日に至っております穴守稲荷神社とは一切関係ありません。
戦後生まれの私たちは2度と政府の行為による愚かで醜い且つ悲惨な戦争を繰り返さないことが今は亡き戦没者への恩返しと言う思いで、羽田平和の大鳥居と共に、世界一清潔で美しい空の玄関羽田、世界平和文化交流の架け空(はし)を未来の子供たちに遺し世界に広げる活動です。ご理解、ご協力の程ど宜しくお願いいたします。
平和に戦争は存在しないのです。戦争に平和は存在しないのです。
にも拘らず戦争をするのは人間ですが、しかし平和な国づくりを築き上げるのも、私達人間です。だったら【平和と健康と命が一番です。】
世界一清潔で美しい日本の空の玄関羽田、世界平和文化交流の空の架け空(はし)を目指す。東京国際空港記念建造物、羽田平和の大鳥居と共に空港関係
者の方々を始め平和の大鳥居に訪れた皆様は世界平和の指揮者です。
世界一清潔で美しい日本の空の玄関羽田、世界平和文化交流の架け空(はし)東京国際空港記念建造物、羽田平和の大鳥居
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